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湧出量増やし活気戻す 【読売新聞2015年4月25日】

2020/06/09(火)
■「逃げるしかなかった」
酸性の強い「草津温泉」の湯で荒れた肌に効くとされ、「草津の治し湯」とも呼ばれる沢渡温泉(中之条町)。江戸時代から栄え、蘭学者の高野長英や歌人の若山牧水なども訪れた秘湯を、1945年4月16日、大火が襲った。
「火を消すことも諦めて、逃げるしかなかった」。沢渡温泉で最も歴史のある老舗旅館「まるほん旅館」の前主人・福田勲一さん(86)は振り返る。
福田さんは当時、旧制渋川中学(現・県立渋川高校)の4年生。同校の体育館で戦闘機の一部を作っていたが、16日は休みで、渋川の寮から、実家のまるほん旅館へ帰っていた。
 つかの間の休息を終え、寮に戻ろうとした時、火事を知らせる鐘が鳴り響いた。家の外に出て様子を見ると、「雪のように白い灰が舞い、火が山を駆け、沢渡温泉に広がっていった」。
 その時、沢渡温泉には東京都田端新町国民学校の児童200人以上が集団疎開していた。そのうち約70人がまるほん旅館に宿泊していた。
 「先生が必死世になって、旅館の2階の窓から外に、児童の布団を放り投げていた」と福田さんは記憶をたどる。数時間後、福田さんが高台に立って温泉街を見渡すと、火がくすぶり、街全体が真っ赤に染まっていた。

■小さな旅館から再起
この火事で約150ヘクタールを消失、114戸が全焼した。まるほん旅館を含め4軒あった旅館は全て燃えてしまった。火災の4か月後に終戦を迎えたが、物資が不足し、旅館を再建することはできなくなった。「木材がなくて、新築に規制がかかっていた」という。
旅館が復活したのは48年頃。父・浩一さんが友人の家を半分買い取り、客室5室の小さな旅館を建てた。火災の後、再開できたのはまるほん旅館と老舗旅館「龍鳴館」の2軒だけだった。

■ボーリング成功
 客足が戻ったのは59年。当時の中之条町観光協会会長の町田浩蔵さんを中心に、温泉の湧出量を増やすために行ったボーリングが成功してからだった。
 湧出量が3倍に増え、2軒だった旅館も一気に13軒になった。高度経済成長の追い風も重なり、温泉街に活気が戻った。「睡眠時間は2時間くらい。布団が足りなくて、よそから借りるほど忙しかった」という福田さん。「東京の金持ちのお客さんが漫才師を一緒に連れてきて、他の客も集めて楽しんでいた」と懐かしむ。

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