BLOG

メディア掲載

TEL:0279-66-2011

メディア掲載

メディア掲載
Publication

トップページ > お知らせ一覧 > ■コンセント抜いたか!!【温泉人情物語・不良定年編】 【週間朝日】 2005年3月4日

■コンセント抜いたか!!【温泉人情物語・不良定年編】 【週間朝日】 2005年3月4日

2020/06/09(火)
JR吾妻線の中之条駅から沢渡(さわたり)温泉行きのバスに乗って二十五分で、まるほん旅館(0279-66-2011)に着く。この地は江戸末期より昭和初期までが全盛期で、温泉街には小料理家が並び、座敷では義太夫が演じられた。
 肌を抱きしめてくる情の深い湯で、不良定年のおやじが行くにはうってつけの温泉宿である。湯にだらだらとつかっていればグレますね。昔はサトウ・ハチローが常連客だった。
 まるほん旅館のことを教えてくれたのはドイツ文学者の池内紀さんだった。「これぞ隠れた名湯です」と聞いてすっとんでいった。
 ぼくはひなびた山の湯ばかりを廻っている。
 玄関は商人宿の造りで温泉旅館らしくない。木造りの廊下をギシギシと渡ると大浴場があり、床も壁も天井もすべてヒノキ材である。
 浴槽の底は青石が敷かれているので、透明の湯がブルーに見え、高窓から光りが差し込んで、湯面に光りの縞をつくっていた。木のぬくもりと天の光が渾然一体となった夢の温泉だ。
主人の福田勲一おやじは悠々たる道楽者で、常連客が多く、一度この湯の味を知った客は年に二、三回訪れる。個人客を大切にして団体客はとらない。跡つぎ の息子と、てきぱきと宿をきりもりする様子をぼくは『温泉旅行記』(ちくま文庫)に書いた。この本はロングセラーである。
ところが、一九九六年に思わぬ事件がおこった。ひとり息子が、無謀運転のトラックにはねられて、亡くなってしまったのだ。
 それからも、まるほん旅館はぼくの不良仲間の定宿となったが、福田おやじに「だれ
かいい後継者がいないかねぇ」と相談をうけて、このコラムでも募集した事がある。
 四百年の歴史がある老舗で、年代物の木造三階建ての十八室だ。大きな風呂の掃除だけでも、かなりの体力がいる。  
宿のすぐうしろに源泉があり、源泉使用権は、相続人のみが承継する、という規約がある。となると、後継者は福田おやじと養子縁組をしなければならない。
 この条件をクリア人が見つからず、福田おやじは廃業を考えた。とそのとき、快男児と出会った。地元の群馬銀行で支店長代理をしていた三十八歳のサトシ君であった。
 職場結婚をしたサトシ君の奥様は、銀行の窓口業務が長いから、接客はお手のものだ。母親は学校給食の調理をしていたため料理が得意だ。サトシ君は、融資や経理に詳しい。
 かくして、一年前に群馬銀行を退職して、福田おやじと養子縁組の手つづきをとった。それから一年間みっちりと修行をして、ようやく旅館のイロハをおぼえたところである。
 さっそく激励にいくことにしたが、大雪が降って列車が運休し、宿にはほかに一組しか泊まっていない。
 福田おやじは七十六歳になった。いい後継者がきてくれたので、機嫌がいい。雪が降りしきる宿で、雪見風呂につかった。旅館の息子になったのだから、サトボオという呼び名にした。
 しんしんと雪降る宿で、福田おやじとサトボオと酒を飲むと、深夜0時になってしまった。サトボオは純朴なまじめ人間で、まだ発展途上の不良予備軍である。福田おやじは「これでまるほん旅館は安泰です」と感慨深げだった。
 翌日、ぼくは軽井沢小瀬(こせ)温泉のパークホテル(0267-42-3611)に行くことになっていた。パークホテルは堀辰雄の小説『風立ちぬ』の世界がムクのまま残されている。
 軽井沢にはいくつかの温泉があるが、いずれも大ホテルで情緒に欠ける。ムカシの軽井沢の抒情を残しつつ、キャピキャピのガキ連中が来ないプティホテルだ。
 なめらかな湯質で、湯上がりは肌がツルツルになる。ホテルオークラの会長は、パークホテルの愛好者で、東京のホテルオークラの赤いカーペットの余りをくれた。
 温泉でありながら正統のホテル形式で、値が安い。パークホテルにも七年前に息子の岩瀬ヒロキ君(36)が帰って来たから、七十歳になる岩瀬おやじさんも、ほっとしている。
 軽井沢に別荘があったT・K首相(田中角栄氏)は、小瀬温泉の泉質に惚れこんで、小型タンクローリーで、湯を運んだ。このホテルは軽井沢在住の作家、画家、音楽家に愛用され、じつは地元の客が多い。
 沢渡温泉から草津までサトボオが「ぼくもパークホテルへ行ってみたいなぁ」といいだした。「この大雪で、客がみんなキャンセルしてしまって、本日は休みにしました」。
 草津から小瀬温泉まではバスで行くつもりにしていた。「ぼくも行くから送って行きますよ」「きみもそのうち不良になるぞ」。 まるほん旅館に泊まってから、パークホテルへ行く客が多いという。『温泉旅行記』を読んで、同じコースをたどるらしい。
 「だから、パークホテルって、どんなホテルか行ってみたかったんです。風呂だけ入って今日じゅうに帰ります」といって、サトボオは奥様にケイタイ電話をかけたのだった。
 パークホテルも、二十年ぶりの大雪のため、宿泊客はほかに一人だった。
 その客も『温泉旅行記』を読んで、パークホテルに来た客だった。ぼくの本は優雅なる温泉流れ者の読者が多い。
 サトボオは、パークホテルのヒロキ君と意気投合して、一泊することにあいなった。ヒロキ君がいった。「うちのホテルに泊まって、つぎにまるほん旅館へ行くってお客さんが多いんです。ぼくも泊まりにいきます」
 かくして、まるほん旅館とパークホテルは群馬県と長野県をつなぐ友情連合となった。
 『不良定年』は、本誌青木編集長が「編集部発」でとりあげてくれたおかげで、増刷となり、いまは19刷だ。
 これも、まるほんとパークホテルの温泉効果といえよう。
(エッセー・嵐山光三郎 イラスト・渡辺和博)

管理ページ

- Powered by PHP工房 -