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■リセット【私の選択】 【読売新聞】 2005年1月13日

2020/06/09(火)
帳場の奥で、紺色の作務衣(さむえ)姿の主人が予約の電話を受けている。
 「食事はどうなさいますか。おかずの品数が多い順に、A、B、C三つのコースをご用意しております」
 築四十年、木造3階建てのひなびた旅館に、はきはきとした声が響く。
 群馬県の北西部に位置する中之条に、沢渡(さわたり)温泉という小さな温泉街がある。標高六百メートルの山あいを縫う幅五メートルほどの道沿いに十二軒の旅館が点在している。
 その一つ、まるほん旅館。主人の福田智(さとし)(38)は十一ヶ月前まで、田中という姓で、群馬銀行中之条支店の支店長代理を務めていた。職場結婚し た妻との間に、小学生の子供が二人いる。昨年初め、銀行員の家族はそろって姓を変え、旅館経営者の家族となって、ここに移り住んだ。
江戸時代に、沼田藩主の母が宿泊したという記録が残る、沢渡温泉随一の老舗旅館。田中智がその存在を強く意識するようになったのは、二〇〇三年五月、当 時の経営者の福田勲一(くんいち)(76)が後継者を探しているという話を耳にした時からだ。勲一は一九九六年に一人息子を不慮の事故で亡くしていた。
 融資の取次ぎから企業買収(M&A)の仲介まで、支店長代理の仕事は幅広い。決算書を調べると、バブル時代に目立った投資をしていない分、財務内容は良かった。「M&Aには格好の案件だ」。支店の得意先に買収を打診して回った。
三社から色よい返事を得た。第三者に勧めている以上、自分でも風呂に入っておこう。そう考え、仕事帰りに旅館に立ち寄った。
 ひのきの壁に囲まれた浴場に入ると、客の老夫婦が湯につかっていた。自分もつかり、湯気でぼやけた老夫婦の姿を何とはなしに見ているうちに、この湯がすっかり気に入った。そして、こう思った。「最後まで銀行員でいいのかな」

「地元で一番安定している企業だから」と群馬銀行に就職したのは一九九一年。バブル経済の末期だった。当時と比べ、顧客の中小企業経営者と銀行との関係 は明らかに変質した。「困った時に何とかしてくれるのが銀行だろう」。親しくなった社長に泣きつかれ、「仕事は仕事」と自分に言い聞かせた経験も一度や二 度ではない。
 「一国一城の主もいいな」。ぼんやりと、そんな思いが過ぎって消えた。
 買収の仲介に動き始めて五ヶ月後の十月。経営権譲渡の意向を改めて確認しようと勲一を訪ねた智は、意外な言葉を聞かされた。「経営を引き継いでくれる人には、私と養子縁組をししてもらわないといけない」
 沢渡温泉の経営者でつくる「管理組合」の規約に、次のような一文があることを勲一は明かした。
 <源泉を利用する権限は相続人が承継する>
 限りある湯量を確保するため、新規参入を制限しようと設けたルールだった。
 三社に勲一の言葉を告げると一斉に腰が引けた。後日、それを伝えた智に勲一は寂しそうにつぶやいた。「それなら廃業するか」
 この時だ。智は自分でも思いがけない言葉を口にした。「私がやりましょうか」。今でも不思議に思うほど迷いは無かった。
 「旅館のおかみになってみないか」。帰宅後、妻の節子(43)にそれとなく持ちかけてみたが、「なに言ってるのよ」と相手にされなかった。
 やがて妻は夫が本気なのだと悟る。十一月。ついに爆発した。「私は銀行員と結婚したの」「旅館の経営なんて素人に出来るわけがないでしょ」。今度は夫が声を荒げた。「そう思うなら実家へ帰れ」
 何を言っても、この人に気持ちは変えられない。節子は観念した。
 夫婦と二人の子供は、支店から二十五キロほど離れた智の実家で母の弘子(62)と同居していた。
 妻は窓口業務が長かっただけに接客はお手のものだし、学校給食に調理の仕事をしていた妻には厨房を任せられる―智はそんな計算もしていた。
 土日が来る度に弘子を含む一家五人で旅館に泊まり込み、仕事のイロハを学ぶようになった。智は翌二〇〇四年一月三十一日付で群馬銀行を退職。勲一との養子縁組の手続きを取った。

福田智の一日は朝の風呂掃除から始まる。部屋は十八室。節子はこまめに回って客から料理の好みを聞き、厨房の弘子に伝える。週末には、勲一も高崎市内のアパートから応援に駆けつける。
 「いいお湯だった」「また来るよ」。客からそう言ってもらえることが、智には何よりうれしい。収入は三分の一に減ったが、バブル崩壊後の銀行ではなかなか味わえなかった喜びを日々かみしめている。
 相次ぐ銀行の経営破たんに「子供は公務員にしようね」と言っていた節子が、今は「旅館を継いでくれるといいね」と口にする。「ミイラ取りがミイラ、です」と智は笑う。
 年末年始は書き入れ時とあって、勲一も毎日、手伝いに顔を出す。「これであと百年は続くな」。一代前の主人は満足そうに語った。(敬称略 小島剛)
※読売新聞社 許諾

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