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■肌にやさしい仕上げ湯 【日本経済新聞】 2004年1月17日

2020/06/09(火)
温泉教授 松田 忠徳
「・・・・・・長かりしけふの山路/楽しかりしけふの山路/残りたる紅葉は照りて/餌に餓うる鷹もぞ啼(な)きし/上野(かみつけ)の草津の湯より/沢渡の湯に越 ゆる路/名も寂し暮坂峠」(「枯野の旅」)大正十一年(1922年)十月二十日、若山牧水は草津から沢渡温泉へ向かう途中、暮坂峠の風景に感動して、この珠玉の詩を記した。
 「此(こ)の温泉は草津の合せ湯として、草津の帰途、六里ヶ原を馬背によって運ばれ、暮坂峠を越えて此處(ここ)に来り、数日間滞在して湯爛(ゆただれ)を治した」(『日本温泉案内』、昭和五年)
 草津の湯は名だたる酸性泉であったから、沢渡は荒れた肌をやわらげる“仕上げの湯(直し湯)”として古くから知られていた。事実、江戸中期の「上州沢渡温泉絵図」を見ると、湯小屋「ナヲシ湯」が描かれている。
 牧水が『みなかみ紀行』でここに立ち寄ったころ、沢渡の名はまだ知られていたが、JR吾妻線の前身、草津鉄道が開通してからは急速にその存在感は薄れていった。
 だが、それが幸いした。バブルの洗礼とは無縁の、歓楽的なものがいっさい無い正当派の温泉街が旧街道沿いにつつましやかに残されているからだ。みやげ屋 や民家に混じって質素な温泉宿が十二、三軒。美容院や理髪店があるのは、ここが現在でも湯治場であることを物語っている。
 中之条の市街地から北西へ約10㎞。秋葉、有笠の水巒(すいらん)の間を蛇野川が緩流する別天地に湧(わ)く沢渡は、平成人の心身を再生する湯治場として申し分のない環境にある。
 江戸時代に五軒の共同場が知られていたが、うれしいことに現在も一軒「沢渡温泉共同浴場」が残っている。温度差をつけた二つの湯船、湯口には飲泉のためのコップが置かれていた。
 「保養のお客さんがほとんどです。中高年の夫婦連れがメーンでしたが、最近は温泉の違いの分かる若い人が増えています」。こう語るのは元禄年間創業という老舗「まるほん旅館」のご主人、福田勲一さん。
 「込んだ時は『いい風呂だった』と言われることはないので、客を取り過ぎないようにしています。ですから、土、日でも一人客大歓迎です」。
 

風呂がまたいい。草津の仕上げ湯といわれただけあって、やわらかな肌感が身上。その湯を十分に生かすために浴舎は総檜(ひのき)造りなのである。家族風 呂もあるが、この風呂は混浴。いたわり合うように背を流し合う老夫婦の姿に、失われてしまった日本の混浴の心を見たような気がした。宿の、風呂の雰囲気が そうさせるのか。(旅行作家、札幌国際大教授)

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